「究極の自己理解」と「超・言語化」で人生を軽やかに飛躍させる、セルフコミュニケーション・コーチの小百合です。
前回(【ヒストリー②学生時代】「いい子」からクラス最下位の劣等生へ)お話ししたように、高校時代に超劣等生を味わってしまった私。
先生と話すのも気が引けるし、常に恐縮しちゃうし、みじめ。
「私なんかがここに居てごめんなさい」という気分で過ごした高校3年間でした。
そんな自己肯定感が低い状態で過ごしていると、勉強にも身が入らない。
結局、学校や親が望む名前の大学にはすべて落ちてしまいました。
ここで、私の『頑張らなければ価値無しチャン』のアイデンティティを決定的に魂に焼き付ける事件が起こります。
寿司屋で母号泣事件
全ての合格発表が終わり、入学する(母が望まない)大学へ入学手続きが終わった日の夜、「お疲れ様会」として家族でホテルのお寿司屋さんに行くことになりました。
私の気分が落ち込んでいたので、元気づける目的だったのでしょう。
しかし、お店で食事が進んだころに、母の様子がおかしくなりました。
「ずっとママも頑張ってサポートしてきたのに!!」と、声を荒げて号泣してしまったのです。
父は「まあまあ、一番つらいのは小百合なんだから……」と慰めていましたが、お店の人もこちらを見ているし、もう何とも言えない時間。
私も涙が止まらなくなってしまい、トイレに離席しました。
”母に認められたくて幼少期からずっとイイ子でいたのに、母を悲しませてしまった”
このことは、『頑張らなければ価値無しチャン』をブクブクに巨大化させました。
そこで私は3つ、自分に誓いを立てました。
・大学を1単位も落とさずに卒業する
・できる限りアルバイトしてお金を稼ぐ
・就職こそ成功して、母を笑顔にする会社に入る
「この3つだけを考えて4年間を過ごそうー」そう決めたのです。
就職のことだけ考えた大学生活
将来は英語を使う仕事をしたいと、大学は外国語学部に入り、フランス語と英語を学びました。
大学の授業は面白いし、何より素晴らしい友人に囲まれて、本当に毎日楽しい日々でした。
この大学に入れたことは私の財産だと思っていますし、私の中では「正解」でした。
20歳の時にロンドンに短期留学に行かせてもらった際、フライト中に体調が悪くなり、男性のパーサーさんに長時間介抱していただきました。
その対応がセンセーショナルなほど素晴らしく、私もこんな仕事がしたい!と、その日からCAを志すことに。
(ヴァージンアトランティックさんでした。今でもそのパーサーさんの顔は忘れません)
CAになれたら、自分も楽しいし、何より母が私を誇りに思ってくれると思ったのです。
帰国すると早速、その夢の実現に役立たないので、まず所属していたサークルをやめました。
すぐに「ECCエアライン」というCA受験対策スクールに入会。
大学で受けられたCA受験対策講座にも2クール参加し、CA受験対策をはじめました。
さらに、レストランで週5日はバイト、夏休みには1カ月ホテルオークラさんでインターンシップをしてサービスを学ぶ、毎日40分太い足をオイルマッサージするなど、とにかくCAに受かることだけを考えて生きはじめました。
(余談ですが、オークラさんには「お給料はいりませんので勉強させてください」と直談判して受けていれてもらいましたが、ご厚意で社食のフリーカードを貸与してくださいました^^
さらに、母は定期券を買ってくれました)
結局CAには受かりませんでしたが、ディズニーホテルを運営する会社からご縁をいただきました。
誰もが知る、憧れのホテル会社。
母に報告した際も、喜んでくれたと記憶しています。
入学前に自分に誓った
・大学を1単位も落とさずに卒業する
・できる限りアルバイトしてお金を稼ぐ
・就職こそ成功して、母を笑顔にする会社に入る
の3つを、無事に達成することができたわけです。
ものすごくホッとしたのを覚えています。
しかし、大学受験に引き続き「第一志望に受からなかった」ことは、私の自己肯定感をまたまた下げました。
頑張らなければ価値がないと思って頑張ってきたのに、頑張っても結局第一志望からは選ばれなかったことが、自信を喪失させたのです
「私は私が望む場所では価値がない存在だ」
「私は選ばれない存在だ」
そんな思いが日に日に募っていきました。
「倒れるまで働く」が美徳の会社員時代、スタート
こうして、ディズニーホテルで働き出した私。
念願の一人暮らしをはじめ、生まれて初めて安心して暮らせる空間を手にいれました。
そこで出会った方たちは本当に素晴らしく、今でも仲良くさせてもらっています。
なので、結果的に私の中では「大正解の就職」でした。
日本一高稼働のホテル会社だったので、毎日が体育祭のように忙しく、昼夜が逆転する勤務生活でしたが、本当に楽しい毎日でした。
「倒れるほど働く」人ばかりだったので、私の性格にも合っていたと思いますし、法人格ともマッチしていたようで、毎年会社表彰もいただけました。
頑張りが初めて報われ、少しずつ「価値無しチャン」のアイデンティティが薄れていきました。
しかし、私がちょっと変だということに気づいたエピソードがあります。
ある日、上司から私を含めた同僚が数人呼び出され、「もっと頑張れ」と叱責(激励?)を受けました。
「ああ、もっともっと頑張らないと!」と思っていると、「小百合ちゃんだけ最後に残って」と言われたのです。
ビクビク残ったところ、上司から1対1でこう言われました。
「皆にはああいったけれど、お前は別。そんなに毎日全開で働いていると、そのうち倒れる。もうちょっと手を抜いて働きなさい」
そこで私はこう聞きました。
「これは私の通常運転です。手を抜くって、どうやるんですか?」
会社のために擦り減っても……
このときのことが上司間でシェアされたのでしょうか。
後日、他の上司からこう言われました。
「会社のために擦り減っても、会社はお前のために擦り減ってくれない。自分の体を一番大事にしなさい」
このときの言葉を、私はもっと大事にするべきだったのです。
そのことに気づいたのは、この7年後のことでした。
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最後までお読みくださりありがとうございました!
次回へつづきます▶▶
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