【自己理解と言語化の専門家】
・LIFE Laugh & Beauty コーチング 主宰
・潜在意識コーチ®
・インタビューライター

安藤 小百合  ANDO SAYURI

1985年8月29日 埼玉県生まれ
獨協大学 外国語学部卒業
同い年の夫と湘南で2人暮らし

大学卒業後、ディズニーホテルを運営するミリアルリゾートホテルズに入社。ホスピタリティマインド、チームワーク、相手の要求を瞬時に読み取る力を培い、異動年を除くすべての年で会社表彰を受賞。(計3回)

ディズニーのサービス哲学を追求する中で、自社サービスへの確信とインナーブランディングこそ、長く成功しつづけるビジネスの根底にあることを学ぶ。

結婚を機に退職し、非日常づくりとは真逆の暮らしづくりをしたいと、中小企業の住宅会社に転職し、広報に従事。その後リクルートに転職し、リフォーム情報誌「SUUMOリフォーム(現在休刊)」の編集職に従事。

2019年にインタビューライターとして独立し、新聞社web版の経営者特集欄、ライフスタイル雑誌などの媒体にて、インタビューと記事執筆を提供。取材人数は、約5年間でのべ450人を超える。

インタビューした経営者数名に「あなたはコーチの仕事も向いている」と言われたことをきっかけに、本格的に潜在意識・脳科学・コーチングを学び、2022年から「心身共に健康に、生きる・はたらくを謳歌する人を増やす」をパーパスに、コーチ業も開始。

自らとクライアントの変容過程を基にしたプログラム『LIFE  Laugh & Beauty コーチング』を確立し、根底からの自己理解から軽やかな飛躍までを、超・伴走型でサポートする一方、経営者・マネージャー層へのコーチング、組織のインナーブランディングのサポートも行っている。

資格・実績一覧


┃資格

  • ワンネス㈱認定 潜在意識コーチ
  • ㈱マネージャー&スピリット コーチ養成講座修了
  • 会社の現場監督合同会社主催 法人向けビジネス講座「ママビズ」修了
  • インテリアコーディネーター
  • 第2種衛生管理者
  • サービス接遇検定準1級
  • 文化書道学会 師範免許 ほか

┃実績

  • サンクチュアリ出版主催 単独トークセミナー「超・傾聴術」
  • 東京建設業協会 新入社員研修 サポート講師

はじめまして、安藤小百合です。
ホームページをご覧くださりありがとうございます。

私は「心身ともに健康に、生きる・はたらくを謳歌する人を増やす」というパーパスのもと活動しています。そして私自身も、生きる・はたらくを謳歌する人の一人です。

ここで一つ、質問です。

あなたにとって「生きる」とは、そして「はたらく」とは何でしょうか。

少し長くなりますが、私が今のゴールを持つに至った背景をお話しさせてください。


Chapter1: 生い立ちと学生時代
#「頑張らなければ価値がない私」を形成した幼少期
#チーム力に目覚めた女子サッカー、そして、最高のホスピタリティとの出会い
Chapter2:会社員時代
#インナーブランディング成功例の中で
#企業観が変わった、初めてのOL生活
#異なる仕事観の間で
#『言語化の鬼』になったきっかけ
#神様からの強制ストップ
Chapter3:私が変わった過程
#初めての『自己対話』と『自己理解』
#運命を変えた『潜在意識』との出会い
#36歳、ようやく自分の人生が始まった
Chapter4:大丈夫、あなたも変われます。

#「頑張らなければ価値がない私」を形成した幼少期

私は父と母の間に一人娘として育ちました。父は外科開業医の裕福な家庭で育ったためか、人の悪口を言わない温厚な性格。母は高校卒業後すぐに郵便局に勤め、自費で大学受験の予備校に通ったという努力家でした。

どちらにも共通していたのは、「超マジメ」「勤勉」「自分に厳しい」。

そして、口癖は二人そろって「人に迷惑をかけてはいけない」

特に母は強烈で、救急車で運ばれた翌朝も「迷惑かけられない!」とたくましく出勤していった後ろ姿は、今でも忘れられません。

そんな両親の元で育った私も、絵に書いたようにマジメに育っていきました。

3歳から書道と水泳をはじめ(書道は22歳で師範をとるまで継続)、小3からは自ら志願して塾に通い、中学受験を目指してガリ勉の日々。

硬筆、書初め、読書感想文など、表彰ごとでは必ず賞状を持ち帰るほど全てに全力投球。硬筆展(埼玉県特有のイベントだそうです)では6年連続で県展に出品され、読書感想文は5年連続で学年代表に選ばれていました。

毎日新聞社主催の硬筆展 表彰式にて父と

もはや、表彰されることがデフォルトになってしまった私は、いつしか「私は頑張らなければ価値がない」と感じるように。この潜在的なアイデンティティは、36歳まで私の背中にネットリと居座り続けました。

そんなストレスの中、小4のときに体を壊し、担任からストップをかけられ受験を断念することに。いわゆる“早咲き”だったわけですが、人生初の挫折はこの時でした。

#チーム力に目覚めた女子サッカー、そして、最高のホスピタリティとの出会い

#インナーブランディング成功例の中で

大学卒業後に入社したのは、ディズニーホテルを運営する会社です。

「ここで働きたい!」と全国から志願者が集まる会社だけあり、社員・アルバイトなどの雇用形態を問わず、すべての従業員が情熱を持って働く職場でした。

自社商材への愛情を持つ全社員が生み出すシナジーが、高利益を生み出している。今思うと、インナーブランディング(※)の成功例の中にいたわけです。

(※)企業の理念やビジョン、価値観を社内全体に浸透させる一連の活動のこと

入社1年目の頃

当時は日本一高稼働と言われるホテルだったので、毎日がお祭りのように忙しく、その中で昼夜逆転のシフトは相当タフな日々でした。文字通り「倒れるほど働く」人ばかりだったので、元来ワーカホリックの私にはたまらない環境でした。

そんな忙しい日々を支えてくれたのは、言わずもがな、周りの素晴らしい上司や同僚です。

私はこの会社と法人格もマッチしていたようで、毎年のように会社表彰をいただくこともできました。会社代表で出場した浦安市の消防大会では、個人で最優秀賞選手をいただきました。

ある年の社内表彰式。中央が私。
浦安市の消防大会。左から2番目が私。

生まれて初めて頑張りが真っ直ぐに認められ、少しずつ「頑張らなければ価値がない」のアイデンティティが薄れていきました。

同時に、良好な人間関係とチームプレイが成し得る『一切無駄のないオペレーション』、そこから生まれる『高品質なサービスと成果(売り上げ)』を、日々体感することができました。

大好きな人たちと、やりがいのある仕事を、全力でする。

こんなに充実した日々は、後にも先にもありませんでした。

そんな中で唯一、「私って変かも」と気づいたエピソードがあります。

ある日、上司から私を含めた同僚が数人呼び出され、「もっと頑張れ」と叱責(激励?)を受けました。「ああ、もっともっと頑張らないと!」と思いながら退室しようとすると、「小百合だけここに残って」と耳打ちが。個人的に怒られるのだとビクビクしていると、なんとこう言われたのです。

「皆にはああいったけれど、お前は別。そんなに毎日全力で働いていると、そのうち倒れる。もうちょっと手を抜いて働きなさい」

このときのことがマネージャー間でシェアされたのか、後日ほかの上司からは「会社のために擦り減っても、会社はお前のために擦り減ってくれない。自分の体を一番大事にしなさい」と言われました。

当時は死ぬほど働くことが普通だと思い込んでいた私は、頑張っているつもりも、擦り減っているつもりもなく、この言葉の意味が全く分かりませんでした。

この言葉をもっと大事にするべきだったと気づいたのは、この7年後のことでした。

#企業観が変わった、初めてのOL生活

#異なる仕事観の間で

学生時代、建築士になることを夢見たこともあったので、ホテルを退職したタイミングでインテリアコーディネーターの勉強を始めていました。

2年かけてようやく実技まで突破したことを機に、目標としていた住宅会社に広報として就職しました。やっぱり人と関わることが好きだし、帰属意識の強い私にとって会社の良いところを広げていく仕事は最高に合っていると思ったからです。

#『言語化の鬼』になったきっかけ

その後ご縁があり、リクルートに転職し、それまでも馴染み深かった『SUUMO』のリフォーム情報誌の編集職に就きました。

当時はちょうど30代に入ったころ。このキャリアアップの機会を逃すものかと、高倍率の選考を勝ち抜くために、3か月間SPIの勉強と自己分析をやりまくりました。

3ヶ月で3キロやせ、腱鞘炎になり、腕にステロイドを打って試験に臨んだことは今では笑い話です。(若いってすごい、二度とできない)

『リクルート』『SUUMO』と言えば誰もが知る企業とブランド。インナーブランディングも末端まで行き届いていて、オフィスはいつも活気とやる気に満ち溢れていました。帰属愛が強かった私ですら「みんなどうしてそんなに愛せるの?」と思うくらい、媒体愛があふれた組織でした。

そうなると社員は、頼まれなくても自ら媒体を宣伝するし、企画に必要なら休日に楽しんで調査に出かけるし、プライベートでの発見も次号の企画に活かす。

これぞ良質なインナーブランディングの結果なのだと、感銘を受けたものです。

そして、このような「生きる」と「はたらく」を分けないシームレスなライフスタイルは、仕事とプライベート双方の可能性を広げることを教えてくれました。今こうして個人で仕事しているのは、当時の経験があったからかもしれません。

ご存知の方も多いと思いますが、リクルートには「お前はどうしたい?」「言語化できないことは存在しないのと一緒」のカルチャーがあります。

当時の私はまだ自分の思考に自信がなく、言語化能力も乏しく、それまで右脳で生きて来たのでロジカルシンキングも大の苦手。それはそれは苦労し、いい歳こいてしょっちゅうトイレで泣いていました。

このとき生まれた「言語化コンプレックス」「ロジカルシンキング・コンプレックス」は、その後の人生に多大な利益をもたらしてくれました。それまで優位だった右脳を生かしつつ左脳もはたらかせる術を学び、実践。それを重ねるうちに、言語化できれば課題や悩みの7割は解決したも同然であることに気づき、言語化の魅力に取りつかれていきました。

今こうしてインタビューライターやコーチの仕事ができているのも、当時の苦い経験のおかげ。弱点は強みの種であることを、身をもって学びました。

#神様からの強制ストップ

苦悩の中でも同僚との関係性は良く、タフで充実した日々を送っていましたが、ある朝私は倒れてしまいます。

診断結果は、うつ病。
なかなか重症で、即日ドクターストップがかかりました。

半年間の療養期間を経て復帰しましたが、治療を続けながらの勤務は辛いものでした。薬の副作用で19キロ太ってしまったこともあり、心身ともに負担を感じながら働いていました。100%以上のパフォーマンスが発揮できない悔しさに耐えられず、最終的には自ら退職することに。

悔しくて悔しくて、皆の前で大泣きしながら辞めました。あのときの気持ちは一生忘れることはないと思います。

#初めての『自己対話』と『自己理解』

再び全力ではたらける日を目指して、しばらくは療養生活に専念することに。完治を目指すには、そして二度と再発しないためには、原因の究明が欠かせないと考え、病気になってしまった原因を探ることにしました。

ヒントを求めて大きな本屋に行くと、目に入ってきたのは当時流行っていた『自己肯定感』系の本でした。

1冊読んですぐに気づきました。
「私、自己肯定感ゼロだ……」

その日から、自己肯定感をあげるワークを毎日たくさんやりました。

朝日を浴びながらアファメーションをする
ジャーナリングをする
常に自分にありがとうと言う
寝る前に今日の感謝を10個書く

確かにやった直後はいい気分になるけれど、翌日になるとまた元に戻るの繰り返し。

「私のガンは、もっと深いところある」

そう気づいたのです。

#運命を変えた『潜在意識』との出会い

徐々に回復し、まわりからの後押しもあり独立の道を選びました。まずはインタビューライターやファシリテーターの仕事を主軸に、新たな人生をスタートしました。

インタビューで色んな人の話を聞きながら、相変わらず「自己肯定感より深いガンの在りか」を探し続けていました。

初期の執筆実績(一部)。挿入イラストも自筆で

約2年が経ったころ、新聞社WEB媒体の取材で、ある経営者様にインタビューをすることに。その方は潜在意識をビジネスに活用し、大企業などに人材育成事業や組織開発コンサルティングを提供していて、一般向けに潜在意識アカデミーも主宰していました。

インタビューでじっくりお話を聞く中で、ジワジワとある思いが浮かんできました。

「……私のガンのヒント、この潜在意識ってやつにあるのでは?」

潜在意識を学んでみたいかもと思いながら、取材を進めていきました。

インタビューの最後に「今後の展望は?」と質問したところ、その方はこう仰ったのです。

「私にできることは限られているから、今後は潜在意識コーチを養成する講座を開催したい」

……ビビビ!と、運命を感じました。ちょうどそのころ、インタビューをした複数の経営者様たちから「今日は自分が自覚していなかったことに沢山気づけた。あなたはコーチの仕事も向いている」と言っていただくことが多かったことから、コーチングを学ぶためにスクールを探していたのです。

「潜在意識とやらを学べて、コーチングも学べるなら、そんなにいいことはない!コレだ!」

その後、その先生の元で、1年強に渡り学ばせていただきました。自分のガンが潜在意識にあること、潜在意識が目の前の現実をつくってきたことを知り、頭をガーーーンと叩かれた気分でした。

Chapter1で先述したように、私は幼少期に「私は頑張らなければ価値がない」というアイデンティティを形成していました。これが私の人生を拗らせていたことを客観的に理解してからは、徐々にそのアイデンティティが癒されて行きました。

完全に潜在意識が変わるまでの道のりは試行錯誤で、三歩進んで二歩下がる日々でしたが、しっかり納得感を持ちながら、一歩ずつ着実に生きやすい自分に変わっていきました。

ちなみに、今私が提供しているコーチング・セッションには、私の変容過程と経験から学んだ術をすべて織り込んでいます。

#36歳、ようやく自分の人生が始まった

こうして、他人軸から自分軸へ変わり、はじめて自分の声を聞けるように。

自分の意見を持っていいのだと分かり、生まれてはじめてNOを言えるようになりました。

他人と自分の線引きができるようになり、自己犠牲をしなくなりました。

自分の声をしっかり聴けるようになったことで、自分には自分の正義が、相手には相手の正義があることを知りました。

健全な人間関係には、自分の意見も相手の意見もどちらも尊重することが不可欠であることを知りました。

感情にはネガティブもポジティブもなく、今の状態を教えてくれるものであることを知りました。

その後も複数のコーチング講座に通う中で、言語化とコーチングの相乗効果も感じました。

学びながら実際にコーチングを提供し、自分の生活にも落としこんでいきました。自分自身とクライアントの変化を目の当たりにしながら、潜在意識とコーチングの効果をまざまざと感じていきました。

「私はもう、何があっても絶対に大丈夫!」

そう自信を持って言い切れるようになりました。

36歳、ようやく自分の人生が始まりました。

このように2年前までは、重度の生きづらさ、自己否定、無価値観、自己肯定感の低さを抱えて生きていました。

足りないものを数えてはそれを補うかのように猛烈に学び、はたらき、まわりから好かれるように必死に笑っていました。

しかし、全く自分に合わない会社に転職してしまったことがトリガーとなり、うつ病を発症。この神様からの強制ストップをきっかけに、はじめて自分の生きづらさと正面から向き合うことになりました。

二度と病気にならないと決意し、本気で自分を変えることを決めました。

幸運にも「潜在意識」と出会い、人生を180度変えることができました。

……完全に変われたと言える今だからこそ、断言できることがあります。

人は変われる。

ただし、根本から本質的に変われるのは、納得感を持ちながら正しい手順を踏んだ場合のみ。

この正しい手順とは、

  1. 自分という人間の製造過程を知り、思考のクセの原因を知る。
    なぜ今の現実がつくられているのかを客観的に、ロジカルに理解する
  2. これまでの自分に感謝し、ねぎらう。今の自分を受容する
  3. これからの人生のパーパス(何のために生きるのか/存在意義)を定める
  4. 自分を満たすもの(価値観)を知る
  5. 自信を持って選択できる力、思考を言語化できる力を養う

これを私は、【潜在レベルからの究極の自己理解】と呼んでいます。

35年間何をやっても変われなかったのに、この手順を踏むことでようやく変わることができました。

しかも、無理なく、納得感を持って、軽やかに。

ただ自分をちゃんと知る、とてもシンプルなことでした。

この手順を踏めば、個人はもちろんのこと、組織も変化できます。組織は人の集合体に過ぎず、組織の問題は人の問題だからです。

個々が日々1%ずつ変わることで、1年後あなたの組織は大きく変わります。

……さて、長くなりましたが、背景は以上です。

何者でもない私の自分語りをここまでお読み下さり、ありがとうございました。

最後に、最初の質問に対しての私の答えをシェアします。

「生きる」とは、自分を知る旅。
「はたらく」とは、自分の価値を世の中に還元すること。

あなたに伴走できる日を楽しみにしています。

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