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【ヒストリー②学生時代】「いい子」からクラス最下位の劣等生へ

前回(【ヒストリー① 幼少期】「頑張らなければ価値無しチャン」爆誕。)お話ししたように、
幼少期に頑張らなければ価値無しチャン」のアイデンティティを身に付けてしまった私。

良い子でなければ存在している価値がないと信じ込んでいたことは、その後の学生生活でも自分に負担を強いることになります。

大人から見たら「いい子」だった私

小学校5年生になり、(前回お話ししたように)塾の受験コースは辞めたものの、進学コースには通いながらコツコツ勉強は続けていました。
4歳から通い始めた書道にも行き、本当はやりたくなかったピアノにも通い始め、忙しい毎日でした。

学校では学級委員をやったり、先生から個人的に頼まれたことをこなしたり、算数が分からない友人に放課後教えるなど、今考えると結構ボランティアな小学生だったと思います。

そんな生徒でしたので、中学校の入学式で新入生代表の「宣誓文」を読むことになりました。

忙しい合間を縫って、入学前から中学校に何度も通い、担当の先生と内容を練り、しかも宣誓文は書道で書いて来いと言われ(私は自分で筆が握れてしまうので)失敗しながら泣きながら何枚も清書し、その後は読み上げの練習、さらには体育館でリハなど、この期間は体力的にも精神的にも結構キツかったのを覚えています。

中学校に行くとなぜか毎度カステラが用意されていて、それだけが楽しみでした。変なことを覚えているもんです。

緊張しいだったのに(今でも)、本番では新入生と保護者全員の前でそれを読む。
しかも当時の私はくせ毛がひどく、当日雨天だったため爆発頭で人前に出るのが本当に苦痛でした。

このエピソードから何が分かるかと言うと、

『私は頑張らなければ価値がない』と思っている
だから常に自分の限界まで頑張る

 (結果がどうあれ頑張っている姿を見せる)
→やりたくないことまで頑張る、自分の意見は二の次
→「この子は優秀だ、頑張れる子だ」と勘違いされる
→私のキャパ以上のタスクを任せられる
→どんどん辛くなる
  

この負のループだったということ。

確かに、私は大人から見たらいい子だったと思います。

でもそれは、「大人にとっての都合のいい子ども」なのであり、本来の良い子の定義とはまた違ったのです。

厄介なのが、私自身も大人にとって都合のいい子であることに存在意義を見出していたこと。
常にまわりの大人の顔色や空気を読むことに集中していました。

「よく気が付いてくれる」と褒められることが多かったですが、当然です。
気が付くようにアンテナを張りまくっているのですから。

そしてこれは大人になってから気づいたことですが、
私は中学時代まで自分の意見を持たない子どもでした。
自分がどうしたいかなんてどうでもよくて、親や周りがよしとすることを選択していました

※これは「(大人にとっての)良い子」として育った人、過保護な親に育てられた人、いわゆる「アダルトチルドレン」の人にも共通する特徴です)

初めての自己主張と、サッカー漬けの劣等生

仏教を愛し、良い大学に行ってほしいと願う母の意向で、私は仏教系の進学女子高に入りました。

県内の女子高では2番目に偏差値が高い学校です。
私はそこの特類コースに入りました。
早稲田、慶応、上智を狙い、滑り止めは6大。
うっかりそんなエリート集団の中に入ってしまったわけですが、その後のエピソードはまた後程。

実はこの学校に入った理由は、勉強以外にもう一つありました。
この学校には女子サッカー部があったのです!

サッカータウン浦和に育った私は幼少期からサッカーに親しみがあり、「いつかサッカーをやりたい!」と熱い気持ちを内に秘めていました。

「高校でそれが叶う!ついにやりたいことをやろう!」そう思っていました。
受験勉強を頑張れたのも、実は勉強もサッカーも両方楽しみたいと思っていたからです。


しかし、悲劇が訪れました。
母に「私サッカー部に入る!」と宣言したところ、猛反対されたのです。

良い大学に入って欲しくて学費の高い私立の進学校に入れた母にしたら、無理もありません。
それでも私はどうしてもサッカー部に入りたくて、人生で最初で最後の家出をしました。

家族ぐるみで親交のあった友人宅に飛び込みました。
その友人はフランス人(母)と日本人(父)のハーフであり、そのお父さんは欧米志向の自立型の子育てをしていたので、味方になってくれると思ったのです。

事情を話すと、彼女のお父さんは「まかせなさい」と快く迎え入れてくれ、私の母に電話してくれました。

「小百合ちゃんはアナタの所持品ではない。このままだと彼女はグレますよ」と言っていた場面をとてもよく覚えています。

そのおかげで、受験も頑張るという約束のもと、無事にサッカー部に入部することができました。
仲間に私の入部までの家出エピソードを話すと、私以外だれも親の反対にあった子はいなく、全員閉口していましたね。

ここでも
「私が良い子じゃないから、私は親に反対されたんだ」
と悲しくなったのを覚えています。

高校でも母はPTAになったので、周りの目を気にして応援しないわけにいかなかったこともあると思いますが、結果的には部活動もサポートしてくれました。
やるからには徹底的にやる母でしたので、サポートは万全にしてくれました。

サッカージャージを着ている間は「自分」として生きてよい気がしてとても楽しい日々でしたし、何より素晴らしい仲間に恵まれたことが幸運でした。

……こうして無事にサッカーをはじめ、エンジョイしていたのも束の間。

恐れていたことが起こります。

毎日の小テストは毎日追試、定期テストは41人中39~40位。
そう、あんなに優等生であることに命をかけていたのに、人生で初めて「劣等生」になってしまったのです。


もともと体力があるほうではなく、相変わらずHSPなので学校に行くだけでグッタリ。
おまけに部活までして帰宅して帰宅したら、家で勉強などできるわけありません。

毎日放課後はサッカージャージに着替え、お香の香りのする礼拝堂で小テストの追試を受ける日々。

それでも先生たちは私の部活動を応援してくれていたので(きっと楽しそうにしていたのでしょう)、本当は全問正解しないと退出できないところをいつもオマケしてくれていました。(先生ありがとう!)

三者面談では、毎度勉強と部活の両立の話題。
常に「せっかく入れたサッカー部を辞めさせられるかもしれない」という恐怖を持ちながら過ごしていました。

ここでも、かつて身に付けた「頑張らなければ価値無しチャン」のアイデンティティが発動します。

「頑張れていない今の私は、価値がない」

部活にもスルリと入部でき、きちんと勉強もしていて、両親との関係も良好で、しかも優秀、そんな仲間たちがとても遠い存在のように見えていました。

「私ってなんだんだろう。出来損ないの欠陥品だ」

もともと無いに等しかった自己肯定感は、こうしてどんどんバク下がりしていきました。

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最後までお読みくださりありがとうございました!
次回へつづきます▶▶













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