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【ヒストリー① 幼少期】「頑張らなければ価値無しチャン」爆誕。

前回の記事に書いたように、
以前の私は「マジメでキャリア志向。でも繊細でウツ病」でした。

表面は明るく芸人キャラでしたが(これは今でも?笑)、深刻な生きづらさを抱え、このままの自分で生きていくことに絶望していました。

今はまったく違います。

まあマジメなほうではあると思いますが、自分にとって仕事の定義がガラリと変わり、HSPではあるものの、繊細さとはオサラバ。

3年半悩まされたウツ病も寛解し、過去の自分とは同じ人間と思えないほど軽やかに生きています。


今日から数回に分けて、

◎【幼少期】生きづらかった私の人格をつくった環境
◎【学生時代~会社員時代】抱えていた悩みや課題感
◎【ここ数年】私を変えた運命の出会い~完全なる変化へのプロセス

上記のことをお話ししたいと思います。

今の自分に不安がある人や、本気で変わりたいと願う人に、どうか届きますように。

それではスタート!

一人っ子の私と、マジメな母

<はじめにエクスキューズです>

今回は、私の母の話が出てきます。
母は本来優しい性格です。
ただ躾が厳しかっただけなのですが、当時の私にはそれが強調的に印象付き、人格形成に直結した、というだけです。
誤解があるといけないので、念のため。

私の育った環境が少々特殊だということに気づいたのは、ずいぶん大きくなってからです。

私はマジメで優等生気質の母、見た目は穏やかながら神経質な父のもとで育ちました。

兄弟はいません。
当時は珍しい「一人っ子」でした。

今でこそそんな印象は薄れていますが、当時の「一人っ子」の印象といえば

◎甘やかされている
◎なんでも買ってもらえる
◎ワガママ

(実際、兄弟の多い子から妬みごとを言われたことも数知れず^^;)

恐らく母は、私をそんな子に育てまいと一生懸命だったのでしょう。
「甘やかされた子」と言われないように、守ろうとしてくれたのでしょう。

幼稚園ではPTA会長を務め、その後も私の学校行事に熱心に関わってくれました。

家庭での教育も大変に熱心でした。
3回言って分からなければ頭を引っぱたき、4回言っても分からなければ足で蹴る!
それぐらい厳しくしつけてくれました。
(立て爪のダイヤのリングで頭皮を切ったのも良い思い出です…)

これは初めて告白するのですが、そんな躾を受けていたので、私は何の疑いもなく「言っても分からない人には叩いて教えるもの」と思い込んでいました。
それゆえ、小学校低学年の頃はことあるごとに友人を叩いていました……。

ある日、私は友人に叩かれたことがない、むしろ女子で人を叩いている子はいない事実に気づいてぞっとして、その日から辞めたのを覚えています。
(みんなゴメン)

もしかしたら、私はまわりから嫌われていたかもしれません^^;

衝撃の事実に気づく

こんなこともありました。

小学校低学年のとき、エリちゃんという女の子が転校してきました。
エリちゃんはいつも穏やかで、私の悩み事を優しく聞いてくれました。

ある日家に遊びに行くと、エリちゃんが50点のテストをお母さんに見せていました。
「50点なんて相当怒られるだろうな」とヒヤヒヤしながら見ていたのですが、お母さんは「見せにくかったでしょうに、見せてくれてありがとう。週末一緒に復習しようね」と、エリちゃんの頭を撫でたのです。

さすがに私の手前のパフォーマンスだろう!と思い、「エリちゃんのお母さんって、いつもあんなに優しいの?」と聞いたら、エリちゃんは「いつもああだよ。ぶられたことも怒られたこともない。だから安心して楽しく勉強できる」と言うのです。
(エリちゃんは塾ではなく、ベネッセの進研ゼミをマイペースに楽しんでいました)

その日以降、色んな友人の家に行った際には、お母さんの表情や友人とのやりとりを注意深く観察するようになりました。

我が家だったら手が飛んできそうなことがあっても、手が飛んでくることはありませんでした。
そのたびに「お母さん、いつもあんなに優しいの?」と聞くと、決まって皆「いつもあんな感じだよ」と言うのです。

ここで、衝撃の事実に気づきます。

優等生でなくても、いい子じゃなくても、みんな私ほど厳しく怒られていない】

【みんながいい子でいなくても、基本的にどのお母さんもいつもニコニコしている】

日々募りつづける疑問

私はいわゆる「早咲き」タイプでした。
硬筆コンクール、書きぞめ、夏休みの読書感想文など、何かと表彰ごとでは賞状を持って帰れる子どもでした。

小学校2年生から勉強に目覚め、小3からは進学塾に通っていたので、恐らく成績だけの面をみたら、割と優秀な子どもだったはずです。

当時としては習いごとに忙しい子どもだったと思います。
腕時計をしながら遊んでいるのは私くらいでした。

放課後クラスの皆と公園で遊んでいても、途中で抜けて塾に行き、体調が悪くて学校を休んでも、夜の硬筆特訓には行っていました。

子どもながらに頑張っていたと思います。

私は今もHSPなのですが、振り返れば幼少期からHSC(ハイリー・センシティブ・チャイルド)で、学校に行くだけで神経が疲弊していました。

必然的に休日はグッタリしてしまうのですが、働き者の母からはいつも「休みだからってダラダラしないの!」と起こされていました。
(休みも自宅でダラダラと横になることはできず、静かに居眠りができる塾の自習室は私にとって唯一のオアシスでした)

こうして疲れが抜けないまま月曜日に学校に行き、週末やったことを皆で話していると、「ゲームしていた」「ごろごろ漫画を読んでいた」「車でお出かけしていた」などなど、楽しい報告があるのです。

ゴロゴロできていいなあ……。

私のゴロゴロへの憧れは相当なものでした。

当然、子どもながらに疑問が募っていきます。

「どうして皆は、そんなに甘やかされて生きているの?」

「どうして勉強できないのに、ゲームを買ってもらえるの?私はテストのご褒美でやっと買ってもらえたのに!」

「みんなの家には車があるのに、うちには車がない。なんで?」

「どうして私は兄弟がいないのに、自分専用の部屋がないの?」

「どうして私は兄弟がいなくてさみしいのに、犬が飼えないの?(←これは父が動物毛アレルギーだったから)

兄弟がいないのは仕方のないことですが、兄弟がいないと、それに伴う色んなモノもないのです。

例えば、ゲームとか、漫画とか、CDとか、服とか。
家での会話とか、兄弟を通した交友関係とか、親がケンカしているときに不安を分け合える「安心感」とか。

兄弟がいた体験がないので寂しさはなかったのですが、なんとなくの不足感や不安感があった気がします。
それは、唯一飼えたペットの「金魚」では、癒すことはできませんでした。

こうして生まれたアイデンティティ

その結果、私の中にはこんなアイデンティティが生まれました。

【私は頑張らなければ価値がない存在なんだ】

【私は頑張って優秀でいて、初めて普通になれるんだ】

【私は与えられない存在なんだ】

これを今、
頑張らなければ価値無しチャンと名付け、
手放した過去のアイデンティティとして、セッションの際にご紹介しています。

そのアイデンティティに気づいてからは、
「もっと頑張らないと捨てられる!」と不安になり、もっと勉強しようと決意をしました。

自ら塾の「中学受験コース」を志願し、これまで以上に勉強に熱を入れるようになります。

今考えると「一体いつ休んでいたのだろう」と思うくらいフル稼働の毎日。
毎朝の健康観察では、常に「キモチ悪い」「頭痛い」「だるい」。

ついに4年生のとき担任が親を呼び出し、私の受験をやめるよう諭しました。自分から受験を志願したクセに、このときは心底ホッとしたのを覚えています。

こうして中学受験は辞めたものの、この
「頑張らなければ価値無しチャン」
のアイデンティティは、35歳までネットリと私の人生に影響を与え続けることになります。

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最後までお読みくださりありがとうございました!
次回へつづきます▶▶

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