「究極の自己理解」と「超・言語化」で人生を軽やかに飛躍させる、セルフコミュニケーション・コーチの小百合です。
5回に渡りお付き合いいただいたヒストリー、今回で最終回です。
前回までは、ミスマッチングの転職をきっかけに、うつ病を発症したところまでお話ししました。
「働きたい」と病気の葛藤
それまでも大きな生きづらさを抱えつつも、気づかぬフリをして何とかやってきていた私。
半年間の休職期間を経て復職しましたが、体調が万全ではない中、ハイパフォーマンス集団のリクルートでやっていくことは大変なことでした。
体調が悪い日は遅刻させていただきながら、相変わらず休日も働きながら、なんとか日々の業務をこなしました。
私は埼玉在住なのですが、大阪など長距離出張が発生したときは、とりあえず新幹線に乗れればいいように東京駅の近くに前泊して対処していました。
前泊はもちろん自費、毎日の出勤のグリーン車も自費なので、毎月5万円は仕事のために自費を削っていました。
厄介だったのは、心身は苦しいのに仕事は楽しかったことです。
楽しい仕事に対して100%のパフォーマンスが出せないことが、とにかくストレスでした。
一般的にそれなりの大企業では、休職を経て復職した社員には月1回の産業医面談が提供されます。
要するに人事の保護下に置かれるわけです。
私も復職後はそれを受けてました。
お金をかけてもらっているのに大変贅沢な話ですが、当時の私にはその面談が超絶苦痛で、毎回産業医から
「本当にここで働きたい?」
「どうしたらいいと思う?」
などと質問されるのが苦痛でした。
だって、私は働きたかったから。
もっともっと働きたかったから。
それなのに、どうしたらいいか自分でも分からなかったから。
ここですら「お前はどうしたい?」を求められるのです。
遠まわしに「辞めろ」と言われている気がしたし(というか言っている)、その答えが分かっていたらそもそも病気になっていないのでは?と思っていました。
今考えると、産業医の質問は当然の内容なのですが、当時はとにかく苦痛でした。
そんなヤキモキした気分を抱えながら、毎日自分と闘いながら働いていましたが、ある日プツンと糸が切れてしまいました。
「こんなんじゃ私の人生ダメだ。一旦この会社を辞めよう」
ついに退職する決意をしたのです。
大泣きしながら退職、初めての自己対話
懸命に掴んだキャリアアップ転職、十分すぎるほどのお給料、やりがいのある仕事。
全てを自分から手放すことは、とても苦しい作業でした。
みっともないくらい、皆の前で大泣きしながら退職しました。
あの日のことは一生忘れないと思います。
そうして身軽になった私は、3か月間は「何もしない」を仕事にすることにしました。
ありがたいことに失業保険も降りていたし、自宅ローンは夫に任せられたので、生活の心配はありません。
いずれにせよ、徹底的に心身を休ませて回復しないと次にいけないと思ったのです。
とはいえ、ハムスターのようにカタカタと動き続けてきた人間が、急に何もしなくなるというのも良くないモンです。
自分が生きているのか死んでいるのか分からない。
私が何もしなくても、朝は来て日は暮れて、毎日はちゃんと終わっていく。
「私って、なんなんだろう……」
有名企業の社員ではなくなった自分。
何者でもなくなった自分。
公園でボールを蹴る子どもたちを眺めながら、仕事中に何百杯飲んだか分からないセブンイレブンのカフェラテを飲みながら、毎日途方にくれていました。
そして、これからの自分のためにできることを考えた結果、まず「なぜ自分が病気になってしまったのか」を突き止めることにしました。
「自己肯定感」との出会い。でも……
ヒントを求めて大きな本屋に行くと、目に入ってきたのは当時流行っていた「自己肯定感」系の本でした。
パラパラと読んで、すぐに気づきました。
「私って、自己肯定感ってやつゼロやん」
「もしかしたら、ガンは自己肯定感の無さにあるかも?」と、その日は自己肯定感系の本を何冊か買って帰りました。
・朝日を浴びながらアファメーションをする
・ジャーナリングをする
・常に自分にありがとうと言う
・寝る前に今日の感謝を10個書く
本に書いてあったこの手のワークを、とりあえず毎日やりました。
確かに、なんかいい気分です。
なんとなく自己肯定感というものが高まった気がする。
いいぞいいぞ!
私、自己肯定感上がってきた~~!
(^▽^)ウェイウェイ
……そう思っていたのは、束の間でした。
再就職活動をはじめてみると、みるみる自己肯定感が落ちていったのです。
「私なんて誰も必要としていない」
「私が頑張れなかったから」
「私の学歴が高くないから」
「私の私の……%&”‘!#$」
そんなときに感謝のワークなんてやっても、何も効果がなかったのです。
そこで気づきました。
私のガンは、もっと深いところにある……
運命を変えた「潜在意識」との出会い
結局、まわりからのアドバイスを受けて、就職ではなく独立を選んだ私。
インタビューライターやファシリテーターの仕事を生業に、新たなキャリアをスタートしました。
インタビューで色んな人の話を聞きながら、相変わらず「自己肯定感より深いガン」を探し続けていました。
約2年が経ったころ、たまたま新聞社WEB媒体の取材で、とある経営者さんにインタビューをすることに。
その方は潜在意識をビジネスに活用し、大企業などに人材育成事業や組織開発コンサルティングを提供している方で、一般向けに潜在意識を学ぶ講座も展開されていました。
インタビューでじっくりお話を聞く中で、ジワジワとある思いが浮かんできました。
「……私のガンのヒント、この潜在意識ってやつにあるのでは?」
潜在意識を学んでみたいかもと思いながら、取材を進めていきました。
インタビューの最後に「今後の展望は?」と質問したところ、その方はこう仰ったのです。
「私にできることは限られているから、今後は潜在意識コーチを養成する講座を開催したい」
……ビビビ!と、運命を感じました。
ちょうどそのころ、インタビューをした複数の経営者さんたちから「今日は自分が自覚していなかったことに沢山気づけた。あなたはコーチの仕事も向いていると思うよ」と言われることが多かったことから、コーチングを学ぶためにコーチングスクールを探していたのです。
「潜在意識も学べて、コーチングも学べるなら、そんなにいいことはない!コレだ!」
その後、実際にその方の「潜在意識コーチ養成講座」に参加し、半年に渡り学ばせていただきました。
潜在意識コーチの認定資格をいただき、その後もサポートコーチとして講座に参加させていただいて、トータル1年以上をかけて、潜在意識と現実の強い相関性を学びました。
さらば。「頑張らなければ価値無しチャン」
ヒストリー①でご紹介した、私が長年共にしてきたアイデンティティを覚えているでしょうか。
そう、「頑張らなければ価値無しチャン」です。
潜在意識を学んだことで、そして実際に自分も潜在意識コーチングを受けたことで、長年自分を苦しめてきたこのアイデンティティを知ることができました。
これまで私の人生を拗らせていたガンが、このアイデンティティだったと特定したのです。
「頑張らなければ価値無しチャン」は、常に私にこう言っていました。
・私は頑張らなければ価値がない存在だ
・私は頑張って優秀でいて、初めて普通になれる
・私は与えられない存在だ
だから、自分で自分に価値を与えるために、キャパオーバーになるまで自分を追い込んでいたのです。
まるで、頑張っていなければ、そして不幸でいなければ、生きていてはいけないかのような錯覚を自分で自分に与えていました。
※これは、実はAC(アダルトチルドレン)の特徴の一つでもあります。その話はまた後日。
潜在意識を学ぶ中で、そしてそれを日常に落とし込むことで、長年自分を苦しめてきたアイデンティティを徐々に手放すことができました。
36歳、ようやく自分の人生が始まった
こうして、「ただ生きているだけでは価値がない」と思っていた自分から解放された私。
他人軸から自分軸へ変わり、生まれて初めて自分の声を聞けるようになりました。
自分の意見を持っていいのだと分かり、嫌なことは嫌と言えるようになりました。
他人と自分の線引きができるようになり、自己犠牲をしなくなりました。
自分の声をしっかり聴けるようになったことで、自分には正義が、相手には相手の正義があることを知りました。
健全な人間関係には、自分の意見も相手の意見もどちらも尊重することが不可欠であることを知りました。
潜在意識メソッドを生かしつつ人生を飛躍させるコーチングを提供したいと考え、さらに1年間に渡り「コーチング」と「セルフコーチング」を体系的に学べる講座に通いました。
人生で初めて200万円近い自己投資をしました。
学びながら実際にコーチングを提供し、自分の生活にも落としこんでいきました。
自分とクライアント様の変化を目の当たりにしながら、潜在意識とコーチングの効果をまざまざと感じていきました。
私の人生に一番変化が見えたのは、夫とのパートナーシップです。
これまでの私は「どうせ私が悪いんでしょ!」とヒステリーを起こしがちだったのですが(タチが悪い)、今では
「どちらも悪くない。お互いに自分の正義がある」
「ちなみに私はこうしたかったけれど、あなたはどうしたかった?」
「もっと良くするためにはどうしたらいい?」
といった、建設的な会話をできるようになりました。
ネガティブな話(要するに愚痴)を聞いてもらうときにも、ただの愚痴ではなく”前進するためのステップ”と枠付けして、「ちょっとモヤモヤしていることがあるんだけれど、整理したいから聞き相手になってくれる?」と前置きをしてから(そして了承を受けてから)話すようになりました。
すると、夫も前向きな姿勢で聞いてくれるようになりました。
(若干ダルそうなときもありますが、少なくとも嫌そうな顔では聞かなくなりました……笑)
そもそも、自分にストレスがある仕事や合わない仕事を断れるようになり、煩わしい人間関係は手離せるようになったので、愚痴そのものも格段に減ったのです。
(全く無くはないですが!人間だもの^^)
当時、私は36歳。
究極の自己理解と自己対話を通して、ようやく自分の人生がはじまったのです。
人は変われる。そのサポートをしたい
さて、5回に渡ったヒストリーは、これで終わりです。
何者でもない私の自分語りを読んで下さり、ありがとうございました。
お礼を言って手放した過去を引き戻して書くことは、ものすごいパワーが必要でした。
でも、自分の人生に違和感を感じていたり、生きづらさを感じていたり、キャリアやパートナーシップに行き詰まりを感じている人が読んでくれたら、何かしらの気づきを授けられるのではないかと思い、ゆっくり筆を進めました。
心理学者のアドラーが「すべての悩みは対人関係の悩みである」と言っているのをご存じでしょうか?
私は、この対人関係の悩みのスタートに位置するのは「自分自身との人間関係である」と考えています。
自分ときちんと対話がでなければ、そして自分の思考やニーズが分からなければ、他人が考えていることも必要としていることも読み取れないと思うのです。
だからこそ、根底から自分を理解し、自分との会話を極めることが不可欠なのです。
自分とのコミュニケーションが人生を変える、私は実体験を通してそう確信し、サービス名を「セルフコミュニケーション・コーチング」と名付けました。
リクルート時代から「言語化の鬼」を目指し続けている体験、独立から3年半で400名を超えるインタビューライティングをしてきた経験から、言葉にならない思いを言語化するお手伝いにも注力しています。
人は、言葉になって初めて、自分の思っていることや考えていることを理解するからです。
これからも、「究極の自己理解」と「超 言語化」を通して、一人でも多くの方の自己実現をサポートしていきたいと思っています。
ー人は変われる。本気で願い行動すれば、いくらでもー
このヒストリーが、ここまで読んでくれたアナタに何か気づきをもたらせばうれしいです。
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最後までお読みくださりありがとうございました!
次回の投稿もお楽しみに♪▶▶
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