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【ヒストリー④】神様からの強制ストップ

「究極の自己理解」と「超・言語化」で人生を軽やかに飛躍させる、セルフコミュニケーション・コーチの小百合です。

前回は、私の悲惨な大学受験から、新卒就職当初(ディズニーホテル)までをお話ししました。

先述のように、ホテルで上司から
「会社のために擦り減っても、会社はお前のために擦り減ってくれない。自分の体を一番大事にしなさい」
と言われたことはとても衝撃的でした。

人は死ぬほど働いて結果を出して、はじめて認められるのだと思っていたからです。(本気で)

徐々に「私って変かも」と認識し出す

結婚を機にホテルを退職し、その後キャリア転職会社(合わな過ぎて3ヶ月で辞めました)、さらに住宅会社で(こちらはマッチして3年半ほど)働きました。

ホテル時代に少し薄れたと思った『頑張らなければ価値無しチャン』のアイデンティティは、転職のたびに復活していました。

「早く仕事おぼえなきゃ」
「舐められないようにしなきゃ」
「迷惑かけないようにしなきゃ」

今考えると、何をそんなに気負っていたんだろう?というくらい、アホみたいに気負っていました。
(2回言う。それにたぶん普通に迷惑かけてたし(笑))

その結果、
「あなたと一緒に働いていると、こちらが頑張っていないみたいに見えるから、そんなに働かないで」
「私は安藤さんみたいには働けません」

など、同僚や後輩から耳が痛いことを言われたことがありました。

……いやいや。
むしろ、なんで皆んなそんなに器用に働けるの???


内心ナゾで仕方なかったと同時に、自分の働き方が変なことにも薄っすら気づいていきました。


『言語化の鬼』になったきっかけ

住宅会社で広報として3年半勤めた後、ご縁がありリクルートに転職しました。

転職試験は倍率20倍だったため、勝ち抜くために3か月間SPIの勉強と自己分析をやりまくりました。
3ヶ月で3キロやせ、腱鞘炎になり腕にステロイドを打って試験に臨んだのは笑い話です。
死ぬほど働ける、が初めて生きた出来事でした。

無事に入社してから、リクルートの文化と私のこじれたアイデンティ(『頑張らなければ価値無しチャン』)が最悪の相性であることに気づくまでには、そう時間はかかりませんでした。

親や周りの大人の顔色を伺いながら「いい子チャン」で育ち、就職後も基本的にはマニュアル化された環境で働いてきた私にとって、リクルート特有の「お前はどうしたい?」の文化はミスマッチもいいところです。


「は?どうしたいもこうしたいも、私に考えなんてありませんよ。だって、生きる上で自分の考えを持つことは悪ですよね?」
だったのですから。

昨日までの合法が、一気に違法になった。そんな衝撃と苦痛がありました。
↑これ、自己理解をした今だから分かるんです。当時はなぜ自分が苦しいのか分かりませんでした)



さらに、私のこじれた

◎石橋を壊れるまで叩いて渡らない性格
◎トリプルチェックまでしないとメールが送信できない几帳面さ
◎「失敗したら死ぬ」という思考パターン

では、リクルートでの膨大なマルチタスクを捌くのには1日24時間と身一つでは足りません。
(だから通勤電車は往復グリーン車で仕事、徹夜も普通、土日も働いていました)

おまけに、当初はリクルートで働くに値するほどの「言語化能力」と「ロジカルシンキング能力」が皆無だったため、会議での発言や企画書づくりは地獄。

会議では「今はそのレイヤーの話はしていない」「その要素はここじゃない」など言われることは日常茶飯事。
そして黙ってしまうと、「発言しないなら会議に出る意味がないよ」と言われる始末……。

これが30歳過ぎてから(しかも、それまでの会社ではそれなりにやって来ていたのに)突然訪れたわけですから、ダンプカーで跳ね飛ばされたくらいのダメージを毎日追っていました。

ここで私は思ったのです。

「このままじゃダメだ!絶対に言語化とロジカルシンキングをマスターする!」

……はい。
ここまで読んでくれた皆さんなら、もうお気づきでしょうか。
その日から、人生のすべてを『言語化』と『ロジカルシンキング』の研鑽に費やし出したのです。

ロジカルシンキング関係の本を読み漁り、帰りの電車で毎日の反省文を構造的につくるようになりました。

人の話を聞きながらも「それを一言で言うと何だ?」「その話は今のレイヤーじゃない!」「結局何が言いたいんだよ!」など、心の中で赤入れをしていました。(病んでる)

そんな調子でいたもので、久しぶりに母に会ったとき「今日のさゆちゃん、なんか変!」と言われたのをよく覚えています。

……そうなのです、母の勘は当たっていたのです。

このとき既に、
私は本当に変になっていたのです。
(「そうです、私が変なおじさんです」風)

神様からの強制ストップ

詳細は覚えていませんが、夫談によると、ある朝私は発狂して倒れました。

夫がそのまま近所の精神病院(幸運にも有名なところがあったのです)に電話して、会社を休んで連れて行ってくれました。

医師は「ここまで酷くなるまで頑張れたのが信じられない。今奥さまは重度のウツ病なので、自宅療養が難しければ入院してください」と言われたそうです。
夫が「私が診ます」と言ってくれたので、入院はせずに済みました。

思い出したくない(というかあまり覚えていない)ので、細かくは割愛しますが、その日から半年間の休職が始まりました。

人生初の、神様からの強制ストップです。

半年間、ほぼベッドで過ごしました。

寝すぎて体が痛いので、マッサージに行ったり、少し調子の良いときには自律神経系に良いとされている近所の温泉に行って過ごしました。

この間、情報量が多く刺激が強いのでテレビが見れなかったのですが(しかもTV CMってリクルートばかりなんですよ。あの時はCMを見るのが辛かった)、少しなら本は読めました。

本当にたくさんの本を読んだと思います。
もちろん、ロジカルシンキングの本は読みません。心にやさしい本、小説です。あの期間にたくさんの言葉に触れることができたと思います。

半年が経っても完治しませんでしたが、どうしても働きたかったので、闘病を続けながら復職しました。
元の職場に戻り、そこで1年間働きました。

ただ、幸運にも人間関係は良く、会社に行くことはとても楽しかったです。
行ける日は同僚とランチに行ったり、休日も遊んだり、ときには誰かの出張に合わせて旅行にも行きました。グループ以外の人や、他部署の人とも仲良くなりました。
あの1年間を頑張れたのは、同僚の皆さんのおかげでした。

本当にひたすら、私のアイデンティティと社風が合わなかったのだと思います。
退職するまで、それが分かりませんでした。

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最後までお読みくださりありがとうございました!
次回へつづきます▶▶

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